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海外子育日記

パート1

高校交換留学記 ~パート1~

交換留学をしたいと思い始めた理由



すべての始まりは中学2年生の後半。

本が好きだった私は本屋である一冊の本を手にした。最初は表紙が気に入ったから。カバーに書いてある売り文句を読んでみる。ふん、ふん、なかなかおもしろそう。その本は、上と下があった。とりあえず、上のほうを買ってみることにした。面白かったら下も買おう。このとき、私はエジプト考古学にはまっていて吉村作治先生の本をいつも読んでた。でも、このとき手にしたのは理系の本。宇宙の始まりから、生き物の進化、自然の仕組みをやさしく説明すると言った売り文句のその本は、カール・セーガン著のコスモス。

家に帰ってその本を読み始めた私は、その本にどっぷりとはまった。本当にサイエンスがわかりやすく説明されていた。あっという間に読み終わり、下巻もすぐに買いに行った。それまで、理科や数学に興味のなかった私があっという間に理科を好きになった。自然のなぞを解明できる理科ってすごいと思った。それ以上に、いままで理科なんてよくわからなかった科目を、こんなに簡単に説明できるカール・セーガンっていう人がすごいと思った。この一冊の本が私の人生を変えたといっても過言ではないと思う。

そして、中学3年になった。私の理科好きは続いていた。成績もよくなった。面白いと思ってるから勉強も楽しかった。偶然にも新しい担任の専門が理科だった。しかも、私が理科に興味を持っていることを知ると、生徒が自分の教科に興味を持ってるのがうれしいのか、中学生の私でも読めそうな理系の本を貸してくれたり、質問に行くと学校の授業とは関係ないことでも快く答えてくれた。

そんな時、新聞にどこかの会社のレクチャーシリーズでカール・セーガンが日本に来てコスモスについて講義をするという広告を目にした。その講義の一般参加を抽選で募集するという。講義の場所は京都国際会議場、中学生の私にとってはかなりの遠出になるけど、がんばればいけるはず。一応、応募するのに年齢制限はなかったので、ダメもとではがきを出した。

そして、はがきを出したことも忘れかけてたとき、学校から帰ると母が言った。
「お姉ちゃん、京都であるカール・セーガンの講義に応募した?」
わたし「したよ、なんで?」
母「今日電話かかってきたよ、その事務所から。」
母によると、抽選で選ばれたものの未成年だったから、本当に参加できるのか問い合わせがあったらしい。とりあえず、抽選に選ばれたことの通知と、出席の是非を事務所に通知するための往復はがきが送られてくるということだった。

その夜、父が帰ってきてから、講義にどうしても絶対に行きたい、とかけあった。当たり前なんだけど、電車代は貯金からだすから行かせてほしいとも言った。名古屋から京都までの足代は当時の私にとっては大金。本気だとわかってほしかった。結局、条件つきで父が車で送ってくれることになった。家族みんなで京都に行き、私は講義に他のみんなは京都観光をしようということに。条件は、講義の日までに試験勉強を終えておく。講義の次の日に中学の中期か期末(どっちだったか忘れてしまった)試験が始まるから。

講義がある一週間ほど前から、開催事務所から送られてきた入場証を机の前に張って、一生懸命試験勉強をした。そして当日、約束どおりに連れて行ってもらった。受付で入場用のバッジやバインダーが入ったパケットをもらう。受付にいるのはほとんど大人(当たり前)。ものすごーく圧倒された。でも、勇気をだして家族と別れて会場に入った。席には同時通訳のヘッドフォンがついていた。講義中、ヘッドフォンをはずして実際にカール・セーガンが話してるのを聞いてみたけどさっぱりわからなかった。英語がはなせたらいいのになーと思った。でも、カール・セーガンを目の前で見ることができてとっても感動した。後から知ったけどこの講義の参加抽選に7倍の応募があったらしい。未成年でもちゃんと真剣に受け止めてくれた開催事務所に感謝してます。

このころから、カール・セーガンが教鞭をとるアメリカにあるコーネル大学というところに入学して、彼の授業を取りたいというのが私の「将来の夢」になった。それが、留学を考え始めた始まり。このころ私はコーネル大学がどんな学校かも知らなかった。ただ、本の著者紹介の欄に書いてあるのを見ただけだった。

パート2 交換留学への道、へ続く



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